志布志(しぶし)は、上からも下からも志布志である。地名の言い伝えも天智天皇のこの言葉であった♪

私の故郷の志布志湾に位置する志布志の地名の命名者は、天智天皇であったという言伝えです♪
志布志の地名は、天智天皇遷幸の伝説の中で、天智天皇に布を献上した妻女の優しい心にならい、召使いの女性もまた布を献上したところ、天智天皇は大変感激され、「上下より布を志す誠にこれは上下の志布志である」といわれて高濱の郷中すべて志布志と呼ぶようになったと伝えられています。 
 当時、天皇の即位継承の争いが激化していた。天智天皇(てんちてんのう / てんじてんのう、626年-672年)は第38代天皇。一般には天皇即位前の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ )して知られる。大化の改新を行った中大兄皇子である。天智天皇の第一皇子が大友皇子である。大友皇子が即位して弘文天皇(こうぶんてんのう)となるが、天智天皇崩御から壬申の乱による敗死までその治世は約半年と短い。壬申の乱以降の治世が天智天皇の弟の天武天皇(てんむてんのう)である。壬申の乱の敗戦後、大友皇子は妃・子女を伴って密かに東国へ逃れたとする伝説があり、神奈川県伊勢原市日向に史跡が残っている。この大友皇子の父親が、志布志命名者の天智天皇とは、驚きです!!





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