平安時代の相模国の国府の所在地は、平塚説が有力!それを裏付ける発掘調査結果は納得のいくものです。

 平塚に国府があったという説は有力であると感じます。 平塚市博物館の主張する通り、次々に発掘される裏付資料で、なるほどと納得がいく説明です。 平安時代の東海道は、相模国の国府を通っていた。 その国跡地を現在の三共の敷地周辺とするもので、 幅9mの道路:東海道が通っていた跡地が発掘されている。 いまの西友の工事で発掘を行ったところ、この幅9mの道路跡は三共の所から、北寄りに曲がっていて、西友の方へ延びていたというものです。 発掘調査結果は、掲示板と実際の道路跡の表示で示されている。西友の舗道にもペンキの色を変えて表示されている。 
 また、稲荷前のバス停付近でも、国府関係者が住んでいたというのを裏付ける土器が発掘されている。
 
 相模湾・相模川の交通の要所として、平塚に東海道が設置され、その後、相模国府の建設が始められたという見解が出ています。 

 また、国府は、その後、平塚から大磯に移転したというものです。


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック