テーマ:相模国

身近な所に自分の町の歴史を知る情報があった!歴史再発見みたいな感動です!

 朝ランしながら平塚市内のあらゆる所を巡っていますが、今まで気付かなかった”相模国の国府跡”の発掘現場のこと と 前鳥座の人形浄瑠璃の人形師の墓が大念寺にあることです。  奈良時代に国府があった証拠を示す発掘現場です。銀河大橋から延びる県道44号線の大念寺横の南側歩道に掲示物がありました。 この南側歩道は今回初めて通った。いつも北側歩…
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平塚の歴史は、江戸時代以降の繁栄が大きく、それ以前の須賀村の繁栄や相模国国府の情報が少ない。

 平塚の歴史を知る上で、欠かせないのが、須賀(すか)港の歴史や相模国の国府跡(発掘が十分でない)のことを知ることですが、江戸時代以前の歴史を紐解く上で大事なのですが、断片的な情報しか入手出来ないのが、残念です。  平塚の名前は、東海道五十三次の平塚宿からの由来であり、須賀の方が早くから繁栄していた。  東海道五十三次の平塚宿は、江戸…
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相模国の一宮寒川神社は、日曜日は祝い事で大変な賑わい! 穏やかな秋晴れの天候で人出も多い。

 昨日は、久しぶりの青空で穏やかな天候で何よりでした。 寒川神社に行ってきましたが、大変な人の賑わいでした。 お宮参りに、七五三お参りに、安全祈願など多数の人たちが、寒川神社の御利益を頂きたく、願い事をしていました。 車を止める駐車場も、第一駐車場満杯! 第二駐車場も満杯! 第三駐車場も満杯! そしてさらに行くと有料駐車場(500円/回…
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1000年に亘り、毎年同じ儀式で行われる相模国の国府祭! 平塚から大磯への国府移転との関係は?

 平安時代(794年~1192年頃)の相模国の国府(現在で云う県庁所在地)は、平塚にあったこと、その後、大磯に移転したという説が有力である。 現在でも行われている大磯での国府祭(こうのまち)が、1000年の歴史と云われる。 国府が平塚から大磯へ移転してからの神事なのかな? 国府祭の始まりは、1000年前の平安時代の後期ということかな!?…
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平安時代の相模国の国府の所在地は、平塚説が有力!それを裏付ける発掘調査結果は納得のいくものです。

 平塚に国府があったという説は有力であると感じます。 平塚市博物館の主張する通り、次々に発掘される裏付資料で、なるほどと納得がいく説明です。 平安時代の東海道は、相模国の国府を通っていた。 その国跡地を現在の三共の敷地周辺とするもので、 幅9mの道路:東海道が通っていた跡地が発掘されている。 いまの西友の工事で発掘を行ったところ、この幅…
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国府祭(こうのまち)をご存知ですか?1000年以上も繰り返し行われている相模国の祭りです♪

毎年、1,000年以上も続いている国府祭(こうのまち) 昨年も行って来ました♪ 祭りの詳細や謂れは以下にwiki情報を引用しています。 国府祭(こうのまち)は、神奈川県中郡大磯町国府本郷の神揃山(かみそりやま)及び「大矢場」(現在の馬場公園)で5月5日に行われる祭礼。平安時代に相模国内の主要5神社を国府に近い柳田大明神に併せ祀って総社…
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